ドカベン

スーパースターズ編で盛り上がりを見せ始めている水島新司御大の代表作『ドカベン』に最近惚れている。

「ナイターに強いブルートレイン学園」「バネを使ってシャツを動かし、腕を長く見せるからくり」などに代表される、漫画の持つ荒唐無稽な可笑しみ(ナンセンスと呼ばれるような物)が根底には有り。また野球の面白さもじっくりと読み取れる。
前半は有名な話だが「野球をしない野球漫画」で連載当時『男どアホウ甲子園』という自身の野球漫画が連載中だったためなかなか野球が出来なかったらしい。そこも実に「いきあたりばったり」な感じだ。
水島新司の作品をよく読む方なら分かると思うがこの人は常にアドリブで書いている。
御大はある時、岩鬼(分からない人がいたら「そういう名前の野球選手がいる」とだけ意識してください)が外野フライを打ち上げるというシーンを書くつもりが少し勢いのある画を描いてしまったらしい。そこで御大「岩鬼がホームランを打ったんだ」と作品中でホームランにしてしまったらしい。
「キャラクターが作者の意図に反して意志を持った」ということで語られることの多いエピソードだけど私は「己を裏切る」という芸術家(便宜上こう表記したい)らしからぬ行為にこの人の作品の魅力を感じる。
「あたまで考えたことは所詮あたまで考えたことなんだ」というポリシーがそこにあり、野球のルールブックの隅をつつくような試合の展開を繰り広げることのできる人間であるだけになんとも惹かれる。この思いは私を支えている。

また、長編漫画特有のダレを突くこともできるが私はこの『ドカベン』後半の展開の方が好きだ。
特に文庫版28巻の雲竜のエピソードが秀逸。
主人公山田太郎を高校入学前から追いかける雲竜の物語が完結する。
そこで雲竜の過去が語られる。

彼の名前は実は「青山」だった。
しかも力士だった。
山田を倒すために過酷な減量をした。
過去に山田と相撲で対決していて負けていた。

などなどのぶっとんだ後付けが無ければこの物語は完結しなかったはずだ。
同じくライバル不知火は「勝負には勝つが、試合には負ける」ということで決着が付くがこの雲竜はそこまでの技術は有るようには見えない。そこで野球から脱線した去り方が生まれたのではないだろうか。「二人のライバルの差別化」、「山田の凄さを際立たせる動き」が後半ニはあり、そこでの御大の答えは。

雲竜がこれまで三年間執着して来た野球をすっぱり辞めての角界入り。

「青春は遠回りしたってかまわない」
そう雲竜の姿は語っている。

いきあたりばったり。ああ考えたけどこうじゃないかも。実に人間的な作家の人間的な作品だ。
ライブやってるんだよ、「水島新司野球」を。

ライブの力ここにアリ。