トラックバックってこういうことであってるんでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/mirakki/20050508#p2
ミラッキ氏のラブタンバリンな10ダース位のトラバドゥーラを受けまして、いままで伏せてましたが言います。私は映画を「研究」「分析」そして「批評」を主に大学ではしております。
まあ、これまで日本語になっていない文章を書いておきながらよくそんな事が言えたもんだ。と自分でも思っています。すいません。
そんな訳ですから理想の「批評家像」に基づいた尊敬する批評家も沢山います。
まず、ゴダールトリュフォーに代表されるヌーベルバーグの批評・評論家達です。以前http://d.hatena.ne.jp/pinosaku/20050127#p1に彼らの批評評論活動私なりの解釈をかきました。そのように「批評」が「独り言」を越えた先にあるということ、批評の創作的な部分を体現している。
「何もしない批評家」は批評家じゃない。
つまりはミラッキ氏のいう「批評家風の人」と言う言葉を借りて「何もしない人ほど批評家になる」っていうのは「何もしない人ほど批評家風のひとになる」ってことじゃないですかね?

「芥川や太宰だけが優れた作家か?小林秀雄もすげえ”作”家なんだぜ!!」

そして淀川長治
この人がTVの寸評で「衣装を褒める」映画は大した事無いみたいな定説があります。
まあ確かにそういった作品に格別面白い作品であると言う事は無いに等しいのですが、それでも「褒める」ことに意味を感じるんですよ。
どこかで批評を公にする際の最低限のマナーを感じます。
たとえそれがそこしか褒める事が無いっていう皮肉だとしても・・・

こうした逆反面教師を紹介する事でこちらからのトラバドゥーラと変えさせて頂きます。
ただ最後に、私は「自分を追い込む完璧主義者」も「何もしない人」も「批評家」も否定しません。

サンボマスター山口氏<「自分が弱いから手首を切るんだ!とか言ってんじゃねえよ!ふざけんなってぇんですよ!」