緋牡丹博徒・お竜参上

 仁侠映画が全盛の頃、映画館では高倉健の口上などに「異議なーし」と客席から声がかかったと言う。別にそれに対する健さんの反応は全くない。当たり前だスクリーンの人物に何を言っても無駄である。
だがこの「掛け声」の素晴らしさはそこにあって、仁侠映画の魅力もそこにあるだろう。
「映画なんて所詮フィクション」こんなことは映画館に来る人間の全てが分かっている事であるが、なぜその「作り物」に笑い、涙し、人生を変えられ、果てまた殺人を犯すのか。やはりそこには「作り物」であるからだろう。スクリーンの中の出来事が身近で起きていたら・・・悲劇的なシーンでも感情たっぷりの長台詞には笑ってしまうだろうし、ましてや仁侠映画の修羅場に立ち会ってしまったら死への危機感をかんじるか、どっ引きしてしまうだろう。だがこればすべて「作り物」であると言う前提だったらどうだろう。さすがに身近にはないけど「なんかありそうかも」という微妙な距離感を生み出す。その距離感は自分と重ねあわせるのにちょうどいい距離感なのだ。駄作は遠すぎたり、近すぎたりする。素晴らしい仁侠映画はこの距離感が素晴らしくとれているのだ、濃厚な人間同士のぶつかり合いの中にもさり気ないやさしさや愛が描かれていて、修羅場の口上ではつい声を掛けたくなるほどに引き込まれて行く。
どうかクールな映画ファンよ、一度仁侠映画を観て御覧なさい「異議なーし」と掛け声を掛けたくなるはずだから。